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一生のうちに話す言葉の数
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人が一生のうちに発する言葉の数は決まってる、 という説がある。 そのとおりだとは思わないけど、 これはいい考え方だと思ってる。
一生のうちに発する数が決まってるなら、 発する言葉には気を遣わなきゃならない。 でも、そんな気遣い、していないんじゃないか。
「3つの願い」という昔話がある。 よいことをしたごほうびとして、 神様に、「願い事を3つかなえてやる」と言われた男が、 3つしかないのだからとあれこれ悩んだのだが・・・
最初に願ったのは、 「ソーセージを飽きるほど食べたい!」 なんてことだった。
確かに、飽きるほど大量のソーセージが現れたのだが、 これを見た奥さんは、だんなを罵る。 こんな願い事をするなんてバカにもほどがあるってね。
で、夫婦げんかが始まる。 男は思わず、 「ソーセージ、女房の鼻にくっついちまえ!」
願いは願いだから、かなっちゃう。 奥さんの鼻に、ソーセージがくっついてブランブラン・・・
「このバカ亭主! 早く取ってよ!」 奥さんに喚かれて、 「女房の鼻から取れろ」 と、願ってしまう。
これで、願い事は3つ、聞き届けられた。
たった3つしかない、と思えば、 誰だって内容をよく考えるだろう。 一生に発することができる言葉が3つだけだと言われたら、 私は考えて考えて、考えてばかりで何も言わないかもしれない。
でも、実際には、無限とも言えるほどの数の言葉を発している。 一定の数に達したらもうしゃべれなくなる、なんてことはない。 だから、なにも考えないで、余計なことをベラベラしゃべったりもする。
思うんだ。 もし、一生の間に発する言葉の数が決まってるなら、 それを、文句や人の悪口で埋めてしまったらもったいないって。
口を開けば他人の悪口、噂話、文句ばっかりの人がいるけど、 そんなことで人生の大半を埋めてしまうなんて、 すごく無駄だし、むなしいことだと思うんだ。
世の中には口数の多い人、少ない人、さまざまいて、 決して、発する単語の数が同じなわけはないけど、 こういう考え方をしたら、 人を傷つけるような言葉なんか、そうは口にできなくなると思う。
せっかく持ち合わせている「言語」というコミュニケーションツール。 みんな、もっと大切に使ったらいいのに。
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